下川原さん蔦温泉の名の由来について参考までに一言!
蔦温泉の先代社長、小笠原耕四郎氏が1995年に出版した「酒仙・鉄脚の旅人 大町桂月」には蔦の命名には諸説があると書いてあります。
一つは温泉の近くにあったケヤキの巨木に見事な「ツタウルシ」がからまっていたからという説。
二つ目はアイヌ語に由来し、ツタとはこの地方一帯の特産物である蕨(ワラビ)と訳されるところから出たという説。(当時は、蔦温泉周辺には沢山のわらびがあり大町桂月は自分で採ってきて晩酌のおかずにしていたそうですよ)
三番目は皇孫第八十代高倉天皇の御代治承四年(1180)に八戸在売市からの親子連れ伝説である。
それは、この湯に来た親子連れの娘・蔦子が夕方になって行方不明となった。みなが総出で捜したところ、蔦子が大きな沼に倒れたブナの大木に座って、物思いにふけっているのが見つかった。
蔦子は、日が暮れる頃に「(沼の主の子を宿し)私はもう帰られない身となりましたが、悲しまないで帰って下さい。私が亡きあとは八戸の湯治客の病は必ず治るでしょう」と言い残し沼の中に消えていった。
この美人娘の死を惜しんで沼と温泉に蔦という名が付けられたと言う。蔦の湯が特に婦人病きくというのはこの伝説によるといわれている。と書いてあります!
蔦温泉は昔は八戸の人達が休屋の十和田神社参拝のおりには往き返りに必ず立ち寄るところだったそうですよ。
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