2014.03.19 : 十和田湖畔に建つ裸婦群像[3]
奥入瀬日記
本日、青森市在住の元青森県土木部建築課技師「小山義孝おやまよしたか」さんのお話を拝聴してまいりました。
この方は、乙女の像竣工に直接携わった方で当時27歳、その時の様子をお伝えしたいと自らご連絡くださいました。
竣工まで十和田湖畔へ三ヶ月常駐し作業をしたそうです。
像は大きく三つの工事があり、一番下の基壇。ここには国立公園内の安山岩を使用したそうです。
二段目に台座。三段目に像。
小山氏は三年前に青森に戻って来られ、久しぶりに見る乙女の像(モニュマン)は当時とは少し変わっていたようです。基壇の部分が修復により以前と違うようです。
また、台座となっている石について当会で記憶する「福島県の黒御影石」ではないとおっしゃいました。
岩手県産の「折壁花崗閃緑岩」と言う石で、北上山脈から採れていたようですが今は無いとのこと。
工事の際にサンプルとしてもらった石を大事に保管しており、本日見せていただきました。
小山氏は、設計の谷口氏が岩手の石を使ったのは、岩手県花巻に住む高村光太郎への配慮だったのではないかなぁ〜と。
像は、鋳金家伊藤忠雄さん立会いの下、上から吊り上げて台座へ下ろしたそうです。
除幕式は、天気が悪くてとても寒かったことを強く記憶していると。
式の後で会食が行われ、中央にいる光太郎が小山氏を隣に呼び「これからの日本は君らの創建にかかっている」。また、「戦争は、どうしてた?」と聞かれ海軍当時の話しをすると、光太郎はビックリしたようで、しばらく二人で話しをしたそうです。その時小山氏は、日本の将来を真剣に考えているお方なんだな〜と深く印象があるようです。
除幕式で頂いた色紙も見せていただきました。関係者の名前がずらりと書かれています。
目が点になりました。
これまで、耳にすることの無かった貴重なお話しを時間を作ってくださった小山氏に大変感謝いたします。

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