2013.10.07 : レモン忌ツアー
奥入瀬日記
10月5日〜6日、一泊二日で高村光太郎・智恵子を探る旅をしてきました。
今年当会で企画した、「乙女の像・60周年記念 ろまんヒストリー発信事業」の行事の一つです。会員と、市内で観光や文学に携わる方々と22名の旅でした。
一日目は、高村光太郎記念館へ行き地元のガイドさんから丁寧にご案内をいただきました。1時間半の予定時間はオーバー!皆さんの熱心な見学には、まだまだ時間が足りなかったようです。
この山荘に、十和田湖・乙女の像を作るまでの晩年の7年間住んでいました。粗末な小屋?家で不便さはあるものの、村民との環境を大変気に入り、東京での「乙女の像」を完成したら必ず帰ってくると言い残し出発したようです。しかし、山荘に帰ることなく東京のアトリエで亡くなりました。山荘の周りは、「案内」の詩にあるように栗の木がイッパイで、美味しそうな栗がゴロゴロ落ちていました。今も様子は変わっていないようです。
二本松市では、智恵子さんの命日に「レモン忌」が毎年行われています。二日目はそちらへ参加しました。始まる前には、智恵子記念館や生家を見学することが出来ました。立派な酒屋さんでした。なぜか、長女智恵子さんの部屋が二つもありました。この大きな家を背負う、長沼家の期待からなのでしょうか?
記念館には、高村光太郎作「みちのく」中型像がありました。「みちのく」は乙女の像のことです。最初は、みちのくの名前だったようですが、いつの間にか現在の「乙女の像」に。
顔は智恵子さんに似せたと言われています。
その智恵子さんの「紙絵」が沢山展示してありました。
ジーット見入ってしまいました!!
不思議と飽きることなくジーット観ていれるんです・・・
微妙な色使いや、影の様子なども全てが紙で仕上げられています。
まるで絵を描いたように。
正に「紙で描いた絵」です(゜o゜)
レモン忌では、主催のレモン会の方々と交流ができ、今度は十和田湖の乙女の像の前で一緒に写真を撮りたいと思いました。
東北、南の福島・北の青森・・・同じ「みちのく」の人と近くに感じました。
光太郎もそんな思いから「みちのく」と像に名前をつけたのでしょうか・・・